7月4日

自己紹介、無関心への恐怖、故に何か爪痕を残さなければいけないという脅迫。1年生の頃は自分に才能があると思っていた。ワークショップでも確かな手応えを感じた。いつの間にか評価されにいこうとしていた。自分を出すとみんなが評価してくれた。その評価してくれた自分を記録する。そしてもう一度再現する。また評価がもらえる。快感でした。憧れている先生。自分もそんなスタンスで作品を作りたい。先生は私に関心がない。先生の関心を求める。空回りする。目立ちたい、自己責任、そうはいかない集団制作、引き際がわからない。怖い、評価基準を探る、見つけられない気負わない人が評価されているから気負わないように気負わないように気負わないように、私はパフォーマンスに評価されることを求めていた。フルクサスの楽譜野中にも自由さがあり誰でもできてしまうオープンさに惹かれていたのに

今目的がないまま講座を受けている。この状態が一番まずい、目的を思い出してみよう。

思い出すことにする。私はトランス状態が理想だから、先生の言うことは無視して入り込んでしまおうと思う。先生の言うことは同意できないから無視したい。勉強をしようと思う。まずはパフォーマンスの歴史から。従うことがしんどくなってしまったらどうしよう。もし私が褒められていたら反発していなかったかもしれないから反発するには材料が足りなさすぎる。とにかく行動してみて、明日を終えてからまた考えることにしたい。

不幸アピール

不幸アピールをする人周りに多すぎる。だから自分は幸せアピールをする。不幸アピールする人は、幸せな他人を見下すことで保っている。不幸なことに浸って全く改善しようとしない。そんなに辛くないから現状維持をしようとする。人と違うを不幸で補おうとする。不幸でいることは勝手だけど、人を見下す材料にしているのは醜い。アイデンティティなんだろうな〜。十分変な人なんだから安心していいと思うよ。気色悪くていいと思うよ。人と違うね、すごいね。かっこいいね。十字架背負っててかっこいい〜そういう人が描く絵はやっぱり重みが違うわ〜かっこいい〜

自分の不幸は絵にしないのに、他人の不幸の表面上を切り取ってそれを絵にするの愚かだなって思う。可哀想だな…ものすごく